先日のシルバーウィークで、漫画『左ききのエレン』を読んだ。ネタバレを避けるために物語の詳細には触れないが、芸術をテーマに「才能とは何か」を真正面から問いかけてくる作品だった。天才と凡人、努力と挫折、光と影。その対比が丁寧に描かれていて、読み進めるほど胸の奥がざわつくような感覚があった。
この作品は芸術の物語でありながら、同時に「働くこと」についても多くの示唆を与えてくれる。特に心に残ったのは、「今やっている仕事を、数十年後に胸を張って頑張ったと言えるか」という問いだ。日々の業務は時に単調で、時に苦しく、時に自分の力不足を突きつけてくる。しかし、それでも目の前の課題に向き合い続けることが、未来の自分にとっての誇りになるのだと気づかされた。
才能の有無は関係ない。派手な成果がなくてもいい。大きな舞台に立てなくてもいい。ただ、ひたむきに、誠実に、自分の仕事に向き合う。その積み重ねこそが、人生を形づくるのだと、この漫画は静かに背中を押してくれる。
読み終えたあと、自然と姿勢を正したくなるような感覚があった。自分の仕事はまだまだ道半ばだし、学ぶべきことも山ほどある。それでも、今日の努力が未来の自分を支えると信じて進んでいこうと思う。明日からも頑張りましょう。
【今日のススミ】
芸術にはいつだって「メッセージがある」。ただし、その言いたいことがストレートに届くかどうかは、作品次第。音楽はメロディに乗って主張を飛ばしてくるし、絵画は色彩と構図で「これが私の世界観だ」と語りかけてくる。でも、こちらとしては「タッチってどういう意味?」と首をかしげることもしばしば。文章でも難しいのだから、芸術ならなおさらだ。
一方で、私が文章を書くときは、芸術家たちと同じように自分の考えを表現しているつもりだ。ただ、文章は便利なようでいて、油断するとただの「ありふれた言葉の寄せ集め」になってしまう。そんな文章は、読者の脳内で秒速で忘却の彼方へ旅立ってしまう。記憶に残るには、やはり「印象」が必要だと思う。時にはアーティストのように、ちょっと行き過ぎた表現で読者の肩を軽く叩くくらいの勢いも必要なのかもしれない。
当然ながら、行き過ぎた表現は諸刃の剣だ。芸術家が意気込んで放った一撃が、観客には「これは問題があると受け取られることもある。でも、それでも彼らは表現することをやめない。印象を残すために、メッセージを届けるために。
だから私も、文章という表現で読者の心にちょっとした爪痕を残せるような表現者でありたい。「この文章、なんか妙に覚えてるんだよな」と思ってもらえるような、そんな一文を創造したい。
芸術家がキャンバスや楽器を振り回すなら、私は筆(キーボード)を振り回すだけだ。


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